投稿日:2008-06-25 Wed
まだ明るいうちに電車に乗れた。一つ先の駅は、去年、仕事で乗り降りしていた駅だ。
懐かしい顔も見かけるかと期待しつつも、みんな今頃は夕食だろう。
車窓から広がる田んぼの中に「○○小学校学習田」という
看板を見つけた。
そうだった、去年、PTAの方々と一緒に子どもたちが泥んこに
なってもち米を植えたんだった。今年もやっているんだな。
植えるときも、刈り取るときも楽しかった。
そして、あのもち米で作った餅は、お世辞抜きに、
これまで食べてきた餅の中で、一番美味しかった。
自分が小学生のときの先生のこと、今でもはっきりと思い出す。
どんくさい私を褒めて自信をつけてくれた先生も、
うまく伝えられず最後まで誤解がとけずにいた先生も。
去年、支援のセンセイだった立場では「教え子」というほどの
ものではなかったが、私は一方的に強烈な印象がある。
私が言ったことやしてきたこともまた子どもたちの中に
なんらかの形で残っていくのだろう。
発する言葉ひとつひとつが重い。
センセイは、最初からなるんじゃない、なっていくものなんや、
と35歳の教育実習生に教えてくれたあの先生の言葉に
支えられながら今を生きている。

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投稿日:2008-06-17 Tue
6月も半ばを過ぎたのだが、指導計画を出してもらえないんです。7月半ばに個別懇談の日を設けてあり、その申込書をもらったのだが、
それは、指導計画というより、つまり結果のみお伝えしますよ、って
ことじゃナインデスカ???
そんなわけで夫が、皮膚の穴までも感情であふれるわたしめのかわりに
個別の指導計画についてどうなってるんやろな〜???ってことを
京都人の、たる〜い(としか九州人には感じられない)オブラートでつつまれた
表現にて連絡ノートでおたずねしたわけです。
今日の返事で、一応、年間と学期の目標を設定してあり、そういうものでよければ
お伝えしますよってことだそうで。個別の指導計画と個別の支援計画ですね。
先生たちは人間性でオシゴトしてくださっているわけですが、
やはり、この先、客観的に先々に伝えていくデータみたいなもんは
必須だと思うわけで、必ず書類で貰うべきだと思っています。
(ところで個別の指導計画をアメリカ風にIEPと表現する人がいますが、
あちらでは法律が伴っていて、これは絶対に達成しなければならない
計画だそうです。つまり、達成できない場合は訴えられてもしょうがない
という意味なんだそうで。)
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今日は、仕事先でアメリカ人のALTの先生とautism(自閉症)の教育について
雑談をしました。州にもよるんでしょうけど、その先生の学校では
特別クラスを設けず、大学や高校の選択授業みたいに、ホームルーム以外は
科目によってクラスを周るそうです。スペシャルニーズの子は、
だいたい先生が同伴するのだとか。
「しゃべりはするけど、先生が一緒にいるからね。」
そんなことを言っていました。
私は以前、よいインクルージョンとは皆が同じ場所で、必要な支援を
受けながら過ごしていくものだと、そうあることで、障害のある子も
ない子もそれぞれに影響を受けつつ過ごすのが一番よい方法だと
思っていました。つまり、アメリカは進んでいると思っていました。
リョウちゃんのことをいうと、交流学級では、みんなにかまってもらい、
あーだこーだ言われつつ、親しい友達もできています。
交流先には交流先のよさがあります。
しかしながら、特別なクラスに滞在する意義もあると思うのです。
それは、自己肯定感を養い、自分のもてる力を発揮すること、
発達の段階の近い子どもたちと同じ程度の社会性をもちながら
かかわること、また、小さい集団の中での育ちあい、
リーダーシップをとることや係り活動をすること、
どれも大切なことだと思っています。
自閉症の中核は「社会性」ですから・・・
何がなんでも皆と同じ、ということは必要ない。
よりよい育ちあいや、発達のための場所があり、そこで
あらためて力を出していくことも大切だと思うのです。
誰一人として同じ進路はとらないのですから、
その子のその時々に応じた対応が大切だと考えています。

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投稿日:2008-06-14 Sat
残業続きで酷い母親でしたが、来週はちょっぴり早く帰れそう。今日は、プリンL(箱プリン)をりょうちゃんと作りました。
箱を読みながら、材料を揃え、分量を量って入れ、
むらなく混ぜる、(ものによっては卵をそっと割る)など
机上の学習では得られない大切な力だなと思います。
小学校の特別支援学級から養護学校に進んでくる子に
共通して見られるのはドリルは得意ですが、
生活の知恵としていかせてない場合が多いということ。
たとえば、九九はスラスラいえますが、
たこ焼き器で作る4列かける5列で全部でいくつという計算が
できなかったり、応用がきかないんですよね。
(生活力がないのは障害児に限ったことではないんですがね。)
そういうわけで、将来を見据えたかーちゃんは、
りょうちゃんにできるだけ自分で考えて色々なことができるように
なって欲しいなと思っています。
もちろん、プリント物も大事ですよ。
(KUMON、だいぶ進みましたのでまたアップしますね。)
忙しいぶん土日は色々なことを一緒にしたいと思っていますが、
あたしゃ、スーパーマンでもないので、
ヘルパーさんの申し込みをして移動支援などを
お願いして、親や祖父母だけではない人と接して欲しいなとも
思っています。

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と押してくださると嬉しいです。投稿日:2008-06-14 Sat
本音はネガティブな言葉をいっぱい吐きたいのですが、そういうところにはそういうものがよってくるらしいので、
できるだけ暗い気持ちにならないようにしています。
しかし・・・日常の業務に加え、校外学習の準備に、中間考査の準備、
個別の指導計画の作成・・・最終電車で帰っていました。
睡眠時間がほとんど取れなかった先週はさすがに辛かったです。
先日、りょうちゃんの出産前まで続けていた会社の元同僚とばったり
駅で出会いました。彼女の大きな目が、年齢を重ねて、
ちょっとばかりやつれたような印象で、さらに大きくなっていました。
「おおおお〜!!!」とお互いに言葉にならないくらいの衝撃。
色々とあって切磋琢磨した仲間だもんね。
今は年賀状を交わすだけなんだけど。
お互いにすぐに帰らないとならない用事があったのでお茶も
できず残念・・・近況を語る前に、彼女はワタシが今何を
しているかを風のうわさ?で聞いたとかで、知っていました。
「えらいですね。また大学行って免許とらはって再就職しはったんでしょう。」
「うんにゃうんにゃ、偉いとか・・・そんなことないよ。
○○子ちゃんみたいにずっとあの忙しい職場で
頑張っている方がず〜〜っと偉いわよ。もうベテランやね。」
係長として頑張っている彼女。
全国の営業部から電話をいっせいに受けるあの部署を
とりしきれるのは彼女だから。このまま課長級にまで昇進して欲しいと
思いつつも気になったのは、プライベートな話には一切触れず
いきなり「店舗数」や「売り上げ」の話ばかり。
しかもその話になると、もう何年も前に辞めたのに、自分もそのモードに
スイッチが入る。自分にとっては相当なトラウマになっているようだ。
「ストレス溜まりますね〜。さすがに。」と彼女。
といいつつ、ちらっとワタシの腕をみて引いている彼女。
あざだらけの腕にびっくりしたみたいです。
「アハ
、これね、かかわり方が下手で、つねる重度の子がいてるのよ。
もう何度もされてあとがついてしまったけど。」
「えええ〜
大変ですね〜」「でもね〜、ストレスだけはたまらないよ。
」あぁそうか、自分で言うまで気がつかなかった。
大変だけどストレスはたまらない、これはとっても大事だよね。
あの頃は苦虫を噛み潰したような顔でデスクに向かっていたっけ。
若い女子社員だったのに、社内でも社外でも駆け引きばかりが
あふれていてギスギスして肌の潤いもなかったような。
昇進試験にパスしたのに事情で退職しなければならなかった
ほろ苦い思い出がよみがえりながら、人生はなるようになっていくんだな、
などと時間の流れをかみ締めたのでした。

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と押してくださると嬉しいです。投稿日:2008-06-08 Sun
最近、学校でりょうちゃんの描く絵にお友達や先生や家族などの人が頻繁に登場するそうです。喜ばしいことですね。
本人の成長もあるでしょうけど、周囲のかかわりが大きいことも
あるのでしょう。交流でも友達ができたようで、その子のことを
よく話します。クラスの子もりょうちゃんと一緒に活動をしたがるそうです。
思春期に入る高学年になると本人も周囲も難しくなっていきますから、
今のうちにできるだけさまざまな子と関わって欲しいと
思います。
学校に行きだして、なかなかじっくり関わることができませんが、
学校が楽しいと毎日言っているので安心できます。
保育園のときは、気が気ではありませんでしたから・・・
仕事に慣れてきたら、来年はPTAにも積極的に参加しなくては。
理解を得るには、親の動きが欠かせません。
今月末に、授業参観のあと、交流先で懇談会があるそうです。
そこで、りょうちゃんの障害について話をして、理解を求めようと
思います。区域外通学なので、クラスの保護者のことを一人も
知りません。そんな中、話をしなければならないのは、
なかなか勇気のいることですね。
でも、光クンのママも小学校時代は特に頑張っていたでしょう。
光通信発行なんてすごいことはできないけれど、
たった1人でもいい、理解者が得られればと思います。
そう、前も書いたように、障害そのものの難しさよりも、
障害についての理解のなさの方が敵なのですから。

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