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あいちゃん

Author:あいちゃん
↑かにさんの絵だそうです。

2003年から日記を書いてきましたが、プライバシー丸出しの内容だったため、2007年4月に一旦閉鎖いたしました。気持ちをあらためて再出発です。

ホームページ「りょうちゃんの療育日記」(詳しいプロフ&成長記録etc)にもお越しください。

ちなみにこれを書いているのは、りょうちゃんの母親あいちゃんです。よろしく。

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『定型発達』という言葉について
この言葉は発達障害者とそうでない人を区別するのに
当事者・専門家に関わらず頻繁に利用されていますね。

どちらかというと、発達障害の特性を持つことを
理解されない故に「発達障害者vs定型発達者」というような
使い方をされている場合を多く見かけます。

(実際に、高機能自閉症やアスペルガー症候群の
診断を受けている人は、子ども・大人に関わらず、
日常生活において、感覚過敏や社会的な関係の摩擦に悩むなど
なんらかの生きづらさを抱えていたりします。
その原因は本人の障害そのものだけではなく、周囲の無理解に
よるところが大きいために、『定型発達者には理解されない』
というような使い方がなされるように思います。)


しかし、
そもそも、発達に「定まった形」なんてあるんでしょうかね。


私は、ある都市の○ヶ月健診(月齢を具体的に書くと都市名が
絞り込まれるので伏せますが)を見学させてもらったことがあります。
出産後、お母さんが数ヶ月ごとに赤ちゃんをつれて
保健所などに定期的に通って診察を受けるもので、子どものいる人なら
誰もが経験があると思います。

ガラガラを楽しそうに振ったり、口に入れたりする、
赤ちゃんのなにげない動きを心理の先生はじっと眺めながら
普段の様子をお母さんから聞き取っています。
しかしそのチェック内容は親が思っているよりずっと細かいことを
健診終了後の話し合いの場を見て知りました。
私には可愛らしくて愛想のよいお子さんにしか映らなかった
赤ちゃんについて、さかんに意見が交わされているのです。
その月齢では一般的な発達であれば
お母さんからうかつに離れて身を乗り出したりすることは少ない
からだというのです。

その月齢で人見知りが少ない場合、将来的には障害とは
診断されなくても人との関係に難しさが生じることがあるのだそう。
(また逆に、過敏で人見知りがひどすぎる場合もありますが。)

ちなみにその場で意見を挙げられているお子さんは、
受診者百人にたいし、数名単位ではないことを記しておきましょう。
こうした子どもたちの多くも、いずれそれが個性のスパイスとして
成長していくわけです。
逆に、周囲から???と思われながらも個性として成長し
大人になってから診断がつく場合もありますが。

また、時々個人的に成人アスペルガー(知的な遅れのない自閉症)の
方々と接しているのですが同じ障害名でも非常にさまざまなタイプの
方がいらっしゃいます。
頭脳明晰で、理路整然と物事を分析される感じの方もいれば、
感受性が豊かで、「自閉症だった私へ」のドナ・ウイリアムズさんの
世界を垣間見るような表現をされる方もいます。
フレンドリーな方もいれば、人と接するのが苦手な方もいます。
感覚過敏な方もいれば、スキンシップを好む方もいます。
診断名のついている人でさえ、(基準は満たしているのでしょうが)
決まった形なんてありませんもの。

自閉症がスペクトラム(連続体)であることはよく知られていますが
私個人の思いとしては「自閉症の人」の枠の中での連続体とみなすより
いわゆる健常といわれる人たちから〜診断のつく人までの連続体として
幅広く考えた方がいいと思うんですよ。
自閉症スペクトラムというのは行動上での捉え方ですが、
人間の顔かたちが違うように、脳の形がちょっとずつ違えば
現れる人間性も全然違ってくると思うんですよね。

私のHPの書評の中でも紹介しましたが、
発達障害の本に名を連ねる某先生は「人口の1割に発現の可能性」と、
ちょっとドキドキしてしまうことを仰ってますし、
地元の福祉センター長の某先生も「一般の人々の5〜10%に
サブクリニカルなケースがある。(臨床の場には出てこないが
限りなくグレーゾーンの人)」と、仰るのに、ウンウン頷く私です。

だってね・・・担当してる支援級の子どもを交流先の通常学級に連れて
いくでしょ。そしたら、担当の子よりず〜っと気になる子が何人も存在
してるんですよ。行動に、言動に、書(描)いてるものに。
文科省が言っている6.3%よりも多いと思います。
自閉っ子の親なら誰でも、すぐに特徴もっている子には気がつきますよね。
でも、我々の仕事は、ふるいわけするのではなく、そういう子たちを
どう支援していくかです。
「先生分からへんわ」と言える子はまだ、言葉で助けを求める力が
あるとほっとするところがありますが。

話ずれましたけど、
障害名がつくかどうかは別として、診断基準は全部満たさなくても
そういう特性を少しずつ持っていることは珍しいことではないので
アカの他人事じゃないよ、ってことです。

(誤解を招くとよくないので、もう一度書いておきますが、
診断を受けておられる方は、日常生活に支障をきたした経験の
ある方です。もし未診断でそのような傾向にあっても
むやみに自称○○障害を名乗ることはない、と思います。)


「定型発達の人」を区別しようとする側にも、
「うちには関係ないから」と思い込んでいる側にも
そろそろ気づきが欲しいですね。



発達障害者は異星人(エイリアン)じゃないです。
隣人ですよ、隣人。

(いや、あなたも私も元々は宇宙人なわけですが。)

ここまで書いといてぬる〜い結論になりますが、
結局は人との感覚の違いを認められるかどうか、
さまざまな価値観があることを許せるかどうかだって思うんです。
そうしたら、障害があろうがなかろうが、生き易くなりますから。
人権の問題につながってくると思うんですよね。



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思うこと | 10:54:57
忘れてはならないこと
こういう子供たちと接する人間に必要なものは、
発達の知識とか、障害児への支援の仕方とか、色々あるだろうけど
まずは、子どもの『あっ、スズメ!』の一声にどれだけ耳を傾けられるか、
ってことだと思う。

そうでないと、
あらこの子どうして今こんな動き(発言)をしているのかしらとか、
なんで癇癪を起こしたのかしらということに気付くことができないもの。

つまり支援の以前に、子供に対するアンテナが弱いと
キャッチすべきものを逃してしまうと思うからね。

こういう素朴なことが、ないがしろにされているように思えて仕方ないのです。



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特別支援教育 | 17:31:21
クリスマスの行事
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 りょうちゃんの保育園では、毎年クリスマスの前に
クリスマスページェントという行事があります。

聖書のお話に基づき、神聖な行事として執り行われるものです。
静かな朗読と年中さんの賛美歌のなか、年長さん全員が
マリアさまとかヘロデ王などの役をあてられ、
舞台上に静かに登場します。

舞台は一枚の絵としてご覧くださいとのこと。
保護者の側にも厳粛な態度を求められます。
うちの坊ちゃまが1番苦手とする『静止』に耐えられるのだろーか!?
という気持ちで不安の嵐。


真っ先によぎるのは・・・運動会の姿。


何せ糸のきれたようなたこのように飛び回り、制止してくださる
先生もおられず、悲しみと痛い視線に耐えがたい思いを抱いたことが
フラッシュバックしますから…

カーテンが開き、1番に出てきた息子。待てないことへの配慮からでしょうね。
預言者が、処女マリアに神の子が降誕することを預言する場面。
いきなり二列目の私とバッチリ目が合い、満面の笑み(*_*( ̄▽ ̄;)

おいおい、そんな愛想のいい『預言者』はおらんぞ。

反応しないで目をそらすと、こんどは鼻をほじほじピーン(゜▽゜)

ハートが針のムシロの上を転がる気分で、カーテンの閉まるのを
祈るように(´Д`)待ちました。
と・・・とりあえず座ってられましたねえ。ゼエハア

その後次々に登場してくる一歳の頃から一緒に過ごして来た
子供達をしみじみとした気持ちで見つめました。
早かったなあという気持ちで一杯です。

舞台のカーテンがしまり、全員が笑顔でポーズをとりながら
出てきたとき、息子はひとことボリューム大の声で


『お母さん!よーくやったよ!』


(´〜`;)(^_-)-☆o(^-^)o
ぁは。エヘヘ。まあいいじゃないか、これが我が息子ですわ。

お隣りに座っていたあまり話したことないお母さんがにこっと笑って
「頑張ってられましたね」p(^^)qと。

その言葉に救われる思いでした。

あと三ヶ月でこの園を卒園です。いろいろありましたが
成長を見守ってくださったことに感謝したいと思います。

※写真は預言者の衣装を着たりょうちゃんと、園の庭にある巨大ツリーです。



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未分類 | 17:02:35
久しぶりの更新(学校の理解について)
20071214171737

とりあえず元気です。

引越しする物件をいくつか挙げ、悩んでいる状態です。

障害児に理解のある小学校は物件から遠いとか、いっぽう、物件の目の前に
小学校があるという好条件でも、学校の取り組みがイマイチだったりして。

私の勤務先の学校は、特別支援学級を隔離しない方針で、
障害があっても通常学級の一員としてその子の参加できる程度にあわせ
クラスを行き来しているわけです。

そこまでは求めなくても、特別な支援の必要な子の教育は、
「特別支援学級の担任任せにしておけばいい」という考え方がどうなんだろうと
思うわけです。教科書に書く名前も、1年1組○○○○と書くのか、
なかよし学級○○○○、と書くのでは意識が全然違うでしょうから。

普通に子育てしてきているのに、なんでこういうところで
ばっさりと別の世界になっちゃうんだろうな〜って・・・

一昨日見に行った学校なんて、学年50人・2クラスなのに、
「お母さんの理想はあるでしょうが、人数が少ないからと言って
通常学級で長い時間過ごすことが良いとは限らないですよ。」と。

いやいや、長時間いるのがいいというわけじゃなくて
学校の意識はどうなんだって聞いてみたわけですが。

そら、インクルージョン(統合教育)の名のもとに、なんの支援もなしに
子どもを放り込むことなんて手抜き以外の何モンでもないですけどね。

だからこそ、それ以上の何かを考えて欲しいわけですけど、
それ以上は担任とご相談ください、と
勝手に校長に話を切り上げられましたがな。

なにもかも満たすのは難しいですね。
二人で社員してる頃に買っとけばよかったんでしょうけどね。

また近いうちに報告します。

大好きなロビーとケロビーのイラストだそうです。



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未分類 | 17:17:38 | Trackback(0) | Comments(6)

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