投稿日:2008-07-26 Sat
今まで色々なことがあったけれど、すべてなんとかしてきたもの。
これからもえぶりしんぐ、なんとかなるでしょう♪
スマイルで、ていくいっといーじー。
突然ですが、ルーさん風に自己暗示。
ワタシは好きですね、あのノリが。
何でこんなこと言うのかって?
毎年のアレですが、アレなんですよ明日(笑)、仕事が多くて準備不足で。
でもね、今年は正当に評価されるチャンスですよ。
一連の大騒ぎのあとでね。
だからこそキチンとやっとかないとならなかったんですけどね。
ちょっと目の前にある峠を越えたら、
りょうちゃんと楽しいこといっぱいするんだもん。
投稿日:2008-06-25 Wed
まだ明るいうちに電車に乗れた。一つ先の駅は、去年、仕事で乗り降りしていた駅だ。
懐かしい顔も見かけるかと期待しつつも、みんな今頃は夕食だろう。
車窓から広がる田んぼの中に「○○小学校学習田」という
看板を見つけた。
そうだった、去年、PTAの方々と一緒に子どもたちが泥んこに
なってもち米を植えたんだった。今年もやっているんだな。
植えるときも、刈り取るときも楽しかった。
そして、あのもち米で作った餅は、お世辞抜きに、
これまで食べてきた餅の中で、一番美味しかった。
自分が小学生のときの先生のこと、今でもはっきりと思い出す。
どんくさい私を褒めて自信をつけてくれた先生も、
うまく伝えられず最後まで誤解がとけずにいた先生も。
去年、支援のセンセイだった立場では「教え子」というほどの
ものではなかったが、私は一方的に強烈な印象がある。
私が言ったことやしてきたこともまた子どもたちの中に
なんらかの形で残っていくのだろう。
発する言葉ひとつひとつが重い。
センセイは、最初からなるんじゃない、なっていくものなんや、
と35歳の教育実習生に教えてくれたあの先生の言葉に
支えられながら今を生きている。

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投稿日:2008-05-31 Sat
りょうちゃんの先生、色々なことをしてくださってありがたいですし、実際に楽しく通っているのですが、
特別支援教育的には物足りなさを感じるところがあり、
おそるおそる提案したり、質問したりするのですが、
それに対する回答、意見がない

入学時から積もってきた小さなイライラがあり、ついに
「先生にお願いしたいのですが、こちらもお尋ねしていいものか
色々考えた上で書いています。それに対するご意見を
聞かせて欲しいのです・・・」と連絡ノートに書いてしまいました。
「色々工夫して言葉をかけているのですが、
まだまだ足りないということなのでしょうね。
見通しを持って活動するように考えたいと思います。」
とのこと。
そうじゃなくて、昨日聞いたことに対する答えが欲しいんですが。
とにかく、できないならできないで
先生の意見というものがあると思うんですが。
のれんに腕押しの状態で、ストレスが・・・
コミュニケーションもっととりたいんですけど、
学校に電話とかいうのは迷惑かしら。児童数も半端じゃないですから・・・
去年の職場の、支援級担任の先生が保護者に電話をかけておられる姿を
時々見ていたので、自分もできるだけそうしたいと思っているんですけどね。
こういうの、話の通じる人と話をすると、もう一歩先の話ができるんですが、
なんというか、働きかければかけるほど、先生の意欲をダウンさせて
しまいそうで、こちらも気をつかいますね。
先生を育てる気持ちで接する、・・・、ペアレントトレーニングで
よく言われることですけど、でもそれっておこがましい気もしますしね。
グレーゾーンの人を含め人口の10%いるといわれているんだから、
それを障害と捉えるのではなく、認知のし方の特徴と考えて
接して欲しい・・・ただそれだけは伝えておきました。
「教育的には色々と工夫してくださっているのでそのことを
まずはありがたく思うことにしようよ」、と夫サン。
うーんだから、それは先生に伝えてますって。
せっかくだからそれにプラスα、りょうちゃんが先生がやってくださって
いることを、すーっと受け止められる工夫をして欲しいとお願いして
いるんですもの。
(あのね、全然難しいこと言ってないですよ。
授業のはじまりに内容呈示して、とかそんな簡単なこと。)
でもね〜、アナタ、いつもいい子ぶって、いつもヤな役わたしにさせてきたでしょ。
保育園の理解のなさには、私一人で戦ってきたようなものじゃない?
今までなにが一番しんどかったか?って、障害そのものじゃなかったと思う。
障害に対する無理解だったでしょうに。

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男女平等じゃないとか、視覚障害を持っている人が間違って乗ったことに対して冷たい言葉が浴びせられたなど、
色々と議論されてはおりますが、
本日初めて通勤時間帯に乗った私の感想としては、
快適そのものでした。
(事故で遅れていたので、いつもと違う時間の電車に乗ったのです。)
朝からキレイに着飾ったおばちゃまたちのたわいない話とか
女子高生たちの恋のお話とか、きゃっきゃと楽しい雰囲気に
つつまれていて、殺風景な車内は、ほわわーんと華やか。
いつも油ギッシュな方々のダウンやコートの間に
ギッチリと挟まれて、ニンニク臭を浴びせられ、
ドアが開くと我こそはと押し出されたり詰め直したりを
繰り返す毎朝に比べ、なんと楽チンなことでしょう。
すみません、女に生まれてきてよかったと久しぶりに思いましたわ。
まだおぼこい女子学生だった頃、何度恐ろしい痴漢に遭ったこと
でしょう卑怯な人たちにどれだけ嫌な思いをさせられたことでしょう。
そういうトラウマを持つ女性に取ってはありがたいことですね。
今なら、つまみ出してやるところですが、ザンネン?ながら
そういうことには遭遇しなくなってしまいました。
その車両にどういうわけか男性が5人ほどおりました。
高校生と、20歳くらいの子と、働き盛りかな、と思う人たち。
全然気がついてないのかな、とか、知ってて知らないふりなのかとか、
間違ったけど、あわてて降りるのがかっこ悪いからかしらとか、
もしかして閉所恐怖症だったらやむをえないわよね、
とか、色々想像しておりました。
そして、あっ・・・やっぱり・・・思った通り、いました!
うちの息子と同タイプがぁぁあ・・・!

これは完全に気がついてないだろうな。
考えさせられる朝でございました。

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投稿日:2007-12-26 Wed
この言葉は発達障害者とそうでない人を区別するのに当事者・専門家に関わらず頻繁に利用されていますね。
どちらかというと、発達障害の特性を持つことを
理解されない故に「発達障害者vs定型発達者」というような
使い方をされている場合を多く見かけます。
(実際に、高機能自閉症やアスペルガー症候群の
診断を受けている人は、子ども・大人に関わらず、
日常生活において、感覚過敏や社会的な関係の摩擦に悩むなど
なんらかの生きづらさを抱えていたりします。
その原因は本人の障害そのものだけではなく、周囲の無理解に
よるところが大きいために、『定型発達者には理解されない』
というような使い方がなされるように思います。)
しかし、
そもそも、発達に「定まった形」なんてあるんでしょうかね。
私は、ある都市の○ヶ月健診(月齢を具体的に書くと都市名が
絞り込まれるので伏せますが)を見学させてもらったことがあります。
出産後、お母さんが数ヶ月ごとに赤ちゃんをつれて
保健所などに定期的に通って診察を受けるもので、子どものいる人なら
誰もが経験があると思います。
ガラガラを楽しそうに振ったり、口に入れたりする、
赤ちゃんのなにげない動きを心理の先生はじっと眺めながら
普段の様子をお母さんから聞き取っています。
しかしそのチェック内容は親が思っているよりずっと細かいことを
健診終了後の話し合いの場を見て知りました。
私には可愛らしくて愛想のよいお子さんにしか映らなかった
赤ちゃんについて、さかんに意見が交わされているのです。
その月齢では一般的な発達であれば
お母さんからうかつに離れて身を乗り出したりすることは少ない
からだというのです。
その月齢で人見知りが少ない場合、将来的には障害とは
診断されなくても人との関係に難しさが生じることがあるのだそう。
(また逆に、過敏で人見知りがひどすぎる場合もありますが。)
ちなみにその場で意見を挙げられているお子さんは、
受診者百人にたいし、数名単位ではないことを記しておきましょう。
こうした子どもたちの多くも、いずれそれが個性のスパイスとして
成長していくわけです。
逆に、周囲から???と思われながらも個性として成長し
大人になってから診断がつく場合もありますが。
また、時々個人的に成人アスペルガー(知的な遅れのない自閉症)の
方々と接しているのですが同じ障害名でも非常にさまざまなタイプの
方がいらっしゃいます。
頭脳明晰で、理路整然と物事を分析される感じの方もいれば、
感受性が豊かで、「自閉症だった私へ」のドナ・ウイリアムズさんの
世界を垣間見るような表現をされる方もいます。
フレンドリーな方もいれば、人と接するのが苦手な方もいます。
感覚過敏な方もいれば、スキンシップを好む方もいます。
診断名のついている人でさえ、(基準は満たしているのでしょうが)
決まった形なんてありませんもの。
自閉症がスペクトラム(連続体)であることはよく知られていますが
私個人の思いとしては「自閉症の人」の枠の中での連続体とみなすより
いわゆる健常といわれる人たちから〜診断のつく人までの連続体として
幅広く考えた方がいいと思うんですよ。
自閉症スペクトラムというのは行動上での捉え方ですが、
人間の顔かたちが違うように、脳の形がちょっとずつ違えば
現れる人間性も全然違ってくると思うんですよね。
私のHPの書評の中でも紹介しましたが、
発達障害の本に名を連ねる某先生は「人口の1割に発現の可能性」と、
ちょっとドキドキしてしまうことを仰ってますし、
地元の福祉センター長の某先生も「一般の人々の5〜10%に
サブクリニカルなケースがある。(臨床の場には出てこないが
限りなくグレーゾーンの人)」と、仰るのに、ウンウン頷く私です。
だってね・・・担当してる支援級の子どもを交流先の通常学級に連れて
いくでしょ。そしたら、担当の子よりず〜っと気になる子が何人も存在
してるんですよ。行動に、言動に、書(描)いてるものに。
文科省が言っている6.3%よりも多いと思います。
自閉っ子の親なら誰でも、すぐに特徴もっている子には気がつきますよね。
でも、我々の仕事は、ふるいわけするのではなく、そういう子たちを
どう支援していくかです。
「先生分からへんわ」と言える子はまだ、言葉で助けを求める力が
あるとほっとするところがありますが。
話ずれましたけど、
障害名がつくかどうかは別として、診断基準は全部満たさなくても
そういう特性を少しずつ持っていることは珍しいことではないので
アカの他人事じゃないよ、ってことです。
(誤解を招くとよくないので、もう一度書いておきますが、
診断を受けておられる方は、日常生活に支障をきたした経験の
ある方です。もし未診断でそのような傾向にあっても
むやみに自称○○障害を名乗ることはない、と思います。)
「定型発達の人」を区別しようとする側にも、
「うちには関係ないから」と思い込んでいる側にも
そろそろ気づきが欲しいですね。
発達障害者は異星人(エイリアン)じゃないです。
隣人ですよ、隣人。
(いや、あなたも私も元々は宇宙人なわけですが。)
ここまで書いといてぬる〜い結論になりますが、
結局は人との感覚の違いを認められるかどうか、
さまざまな価値観があることを許せるかどうかだって思うんです。
そうしたら、障害があろうがなかろうが、生き易くなりますから。
人権の問題につながってくると思うんですよね。

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